震災と小沢昭一的こころ

 東京高生研 上條隆志です。

 震災後にたくさんのエッセイが発表されているが、その最良のものは4月24日の朝日新聞に載った、芸人 小沢昭一のものだと思います。

 被災地の光景を広島の焦土や戦後の焼け跡とダブらせて、あそこから日本は復興したじゃないか、みんなが心を合わせてひとつになってがんばれば大丈夫、日本を信じてるという声があふれる中で彼は「ちょっと違うところがあります」という。

 敗戦後の日本は昨日までの価値観が根底からひっくり返って「ただ『茫然』」とするだけじゃなく、自分の存在の根拠さえ失った『自失』」だった。

「当時はみんなで頑張ろうなんてかけ声もなかった。みんな焼け跡で、今日を生きることで精一杯。てんでんバラバラに頑張るしかなかった。
 
 それまでの一億一心から正反対の「てんでんバラバラ」。この「てんでん」というのは、個人一人ひとりの「自立」なんです。」
 
 そのてんでんを深めよう、バラバラを深めようとするのは大変なことだった。でもその自由を得るために戦争という大きな犠牲を払ったのではないか、と一人ひとりが独立心を持った。みんなで力を合わせて復興はしたのだけれど、自分で考え判断するという宝を大事に握りしめた。

 「だから今回『一致協力』とか『絆』なんてことが強調されるのが実はちょっと心配なんであります。いつかまたあの忌まわしい『一億一心』への逆戻りの道になりゃしないかと」

 原発の問題では、政府・東電の事実隠しはひどいものだった。
 わたしは物理なので3月末に数学の授業をもらって、生徒に事故の内容と見通しを語ったけれど、そのとき既にメルトダウンや今やっと東電が認めたことを、ほとんどすべて話している。ふつうに常識だった。

 しかし大手マスコミは政府東電の発表を垂れ流すばかりで記者会見で質問すらしない。戦後の日本が得たものはどこへ行ってしまったかという感じですね。

 でも今「日本は大丈夫なはずだキャンペーン」に疑問を持った人達が自分で身の回りの放射線を測定し、理性的に議論し考えようとしている。まだ負けてはいませんね。