全国大会を作ることは実践的(その1)

 アンドウです。
 以前『全国大会を哲学する』と題してブログを書いてきました。本当は哲学するなどおこがましいのですが、このブログを使ってリアルタイムな「大会づくり」が伝えられたらと考えていました。それは、私が高生研の全国大会応援ブログの最初、2005東京大会の「I氏の基調日記」と題したページを担当したことと関わりがあります。これは、井沼さんが「<つながりなおす>みんなが生きられる学校へ」という基調発題を巡って、そこに至る序章的な内容をSTARWARSの続編に倣って、エピソード○○として連載してくものでした。もちろん井沼さんは多忙。定期的ではなかったものの、意見を広く求める内容は、一時、論争的な内容として載せることも出来ました。大会が終わって、「基調日記」記事は別ページに保存され、小玉さんの公開講座にも取り上げられたことがあります。
 試しに検索をかけたら東京大会の「入り口ページ」が出てきました。
(「基調日記」にはたどり着けず。「入り口ページ」の項目立て、交流会の内容など、力の入り様がうかかえ、刺激になる。当時は「今日の言霊」という毎日更新ページ(伊藤さん管理)もあった。)

 さて、2005年から6年が経ちます。ブログしか大会のお手伝いが出来なかった人間が、今は大会事務局長になっています。大会づくりを手探りでやっている状態です。いまひとつ、先のことを見通した力の入れ加減が分かりません。「まだまだ、人のネットワークを活用しきっていないなぁ〜」と思ってみたり、「もっとPRしなけりゃ・・」とか、心配事が増えこそすれ、あまり減っていくことがありません。
 そんな中、応援ブログはどこか安心できる場です。私は常々、「応援ブログを更新していくことは、HR通信を定期的に出していくのに似ている」ということを感じています。ある意味、実践的な場であると。ブログ記事を綴ること自体、記録を残すということです。すでに、この「名古屋大会応援ブログ」も5ヶ月の記録が集積されています。

 今年の基調発題は「実践記録を書くことの意味」です。私はこの草稿をかなり共感的に読みました。あまり新しくはないかも知れませんが、足下を見つめ直すみたいなところがあります。私たちはどうやって立ち振る舞うのか? どう進もうとしているのか? つくりながら考えているはずです。
<つづく>