醸造半島知多〜4500アクセス突破記念日〜

 名古屋大会のビフォー アフターに丁度いいのが、知多半島
 魚は新鮮で温泉もある。

 その知多半島。目立った河川はなく、井戸には海水が混じり、水に難渋するところ故、農業には不向きな地域であった。そのため人々はものづくりに勤しんだ。

 古代から塩づくりが行われ、平安時代には常滑焼などの陶器が作られるようになる。

さらに、知多半島醸造技術が発達、日本酒や酢の製造が盛んになされていることから、醸造半島とも呼ばれている。

知多半島は灌漑が十分ではなく農業用の水を確保するのは容易ではなかったが、ところどころに名泉と呼ばれる良質の水が湧いた。その水を利用したのである。

 名古屋といえば、濃厚な味で刺身に合うたまり醤油が知られているが、このたまり醤油も知多産。

知多半島醸造の歴史は、三河国の人で大野町(現常滑市)に移った、宗平宗休が味噌の製造を始めたのがその嚆矢という。知多の隣の西三河も古くから醸造業の盛んなところで、八丁味噌など赤みそをはじめ、三河みりんや白醤油が有名だ。

 因みに、「サザエさん」に登場する「三河屋」は、三河出身者が味噌や醤油などの醸造製品を扱っていた問屋の屋号で、さらに転じて酒屋などの醸造品を扱う店を指す一般的俗称となった名前。

さて、知多半島醸造技術が生んだ逸品に、半田酢がある。知多はもともと酒造りの盛んな土地。(江戸時代には、東の灘と呼ばれていた)米がアルコール発酵すると日本酒、さらに酢酸発酵すると米酢になる。そこで酒造りで出てくる酒粕を使って酢が作られたのである。

この酒粕酢が現在の「ミツカン」の礎となった。今もミツカンの本社は知多半島の半田にある。当時は米酢は高価だったが、(いわば産業廃棄物の)酒粕を有効利用した安い半田酢は江戸に運ばれ、江戸前の寿司に使われた。江戸前の握り寿司が人気のファストフードとして広がっていったのは、実は遠く離れた醸造半島知多のおかげだったのだ。

知多半田では『博物館酢の里』を訪ねたい。(0569245111要予約)児童文学に関心があれば『新美南吉記念館』(0569264888)も外せない。

 大阪 中村 貴彦