「日本語を母語としない子ども達」を受けて

 分科会への参加を楽しみにしています。外国籍の子ども達は、日本全国にいます。秋田の田舎にもいます。そして、表題のような子ども達には、2通りあるかと思います。前回の久田さんが紹介しているように、外国人労働者の子ども達。もう一つは、国際結婚して生まれた子ども達。言葉の問題が起きやすいのは、母親が外国籍の場合です。外国労働者の子どもに関しては、企業責任が大きいと思います。あるいは、そうした人たちに関わる日本人の考え方もあると思います。企業は安く使って人としての幸福を考えない。その結果として、様々な不幸が彼我に起こりますが、あくまでも外国籍の方々の責任にしてしまいがちです。
 国際結婚は、嫁不足の地方で多くの例があります。母親が外国人の場合は、日本語のニュアンスが伝わりにくいようです。そのため、友だち同士の会話は大丈夫ですが、学校などで教科書の言葉や「標準語」となると、意味が分からなくなります。「分からない」と言えないまま過ごし、勉強について行けなくなります。もっとも、日本人の子どももこの辺は怪しい気がします。
 さて、うちの高校にも外国籍やそれに近い子どもが入っています。この子たちは、小さい頃から日本語教室に通っていました。今も小学生の子ども達がいます。日本語の勉強と算数などの勉強をしています。教室に来なかった子は、学校の先生に知恵遅れか勉強が出来ない子、とされていましたが、教室に通うことで、勉強が分かるようになり成績も上がりました。高校も普通に受検して合格しました。県では、こうした子ども達のために講師を貼り付けて、授業に付き添ったり、取り出して勉強をしたりしています。
 結局、学校の言葉が分からなかっただけです。
 お父さんが日本人で、お母さんがフィリピン人の女の子がいます。両親は子どもをフィリピンの親に預けていました。両親の願いは、子どもと一緒に生活をしたい、ということでした。しかし、日本語が満足に話せないと学校でいじめられます。フィリピンにはそうした理由で、日本で暮らせない子ども達がたくさんいるそうです。
 仕事の都合で各地を転々とした生活をしてきた両親は、縁あってこの能代で生活を始めました。お母さんが日本語教室に通い、どんどん読み書きが出来るようになる姿を見たお父さんは、ここに娘を呼んで一緒に生活しようと決意しました。一言も話せない娘さんが小学校に入りますが、専門の講師を学校でつけてもらい、教室にも通いました。すぐに日本語を話すようになり、勉強にもついて行くことが出来るようになりました。お母さんも、何度も落ち続けた運転免許をとうとう取ることが出来、それがNHKの番組で紹介されましたが、それはそうした流れの一部です。外国人支援は、文化も含めた生活の支援をある程度までしなければ、日本で生活する人間を育てることにはならないようです。もし自分が言葉を理解できない国で生活するとしたら、その国の言葉や文化を知らないで生活できるでしょうか。
 この国は、国民すら不幸に落とし込むと錯覚する昨今です。外国人が逃げるのは当然です。今の状態では国際化の道は遠く、英語を話す人間を育てることでは解決にならない気がします。皆さんの身近にいる外国籍の子ども達はどうですか?
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    とらぬ狸@秋田