日本語を母語としない子どもたちの現状と課題−1

 8月6日から大同大学で行われる高生研全国大会、その3日目、つまり8日の午前、問題別分科会「日本語を母語としない子どもたちの現状と課題」をシンポジウム形式で行います。パネリストは、千葉の時原千恵子さんとNPO法人トルシーダ代表の伊東浄江さんです(他にも来て頂く予定です)。このブログで、その紹介を何回かに分けて行いたいと思います。
 地元紙の中日新聞では今年に入ってから「子ども貧困」というテーマで、特集記事を連載してきました。その最終回が5月12日にあり、そのテーマが「在日ブラジル人の少年少女の問題」でした。記者は浜松を中心に取材し、3名の子どもの状況を追っています。そのうちの1人、カイキは自動車関連工場で働いている17歳。10歳の時ブラジルで仕事がなかった両親に連れられ来日。経済成長を続けるブラジルだが学歴社会は日本以上で、大学を出ていないと非正規雇用すら危ういという。公立小学校に入るも、日本語が分からない。中学に上がると国語や社会のテストは最高でも5,6点。学校は時間の浪費としか考えられず、中学2年の時退学。憲法26条は「国民は」で始まり、外国籍の子ども対象外である。
 日系3世のユウジ(20)は、ブラジルの学校で「ニホンジン」と差別され中学を中退、17歳の時、父親を追って来日した。溶接工場で働くも、日本語が分からないからと「ブラジルに帰れ」と罵られる。その頃出会った非行グループの影響で、車上荒らし、強盗、麻薬と非行がエスカレートした。少年院で中国籍やフィリピン籍の子らと一緒に日本語を学んだ。衣食が与えられ勉強に集中でき、1年後には漢字が書けるようにまでなった。少年院の職員は言う。「ここに来る子は1年で漢字の読み書きができるようになる。こうなる前に何とかなるんじゃないか」
 カリナ(13)の母は1992年来日、カリナを生んだ後、夫と別れ、自動車部品工場の派遣社員として勤める。カリナはブラジル人学校に通うが、2006年派遣先の経営不振で、母の月給が25万から8万にダウン。ブラジル人学校の月謝が払えなくなった。昨年4月、公立中学に入るが、仮名もかけず、テストはいつも零点。「ブラジル人学校に戻りたい」が口癖になり、不登校になった。ボランティアの学習支援教室で小学校のドリルからやり直すことにした。「先生のいう言葉は分かるけど、内容が分からない」とポルトガル語で答えるカリナ、「夢は?」と聞くと一転して表情が和らぎ、日本語で「小児科医。子どもが好きだから」と答えた。だが昨年末、母親は解雇された。
 問題別分科会では、トルシーダの伊東さんから豊田市の現状を話して頂く予定です。今東海地方を中心に、私たちがこれまで経験してこなかった教育の問題が起きています。この問題を現場の教師達はどう捉えたらいいのでしょうか。中日新聞の記者は「彼らもまた、この国の未来をつくる子どもたちだ」と結んでいます。

久田晴生