ろくでもない話

 こんばんは。沖縄の伊藤です。

 いきなりですが、東京に来てます。
 先ほど、生誕50周年 三谷幸喜感謝祭の第一弾
 『ろくでなし啄木』を観てきました。
 
 国語の教師なら(あるいはそうでなくても)
 周知のことですが、石川啄木という人は
 なかなかろくでもありません。
 女癖が悪く、お金にルーズで、
 それでも、屁理屈だけは一人前で(まぁ文学者ですから)
 借金を申し出るために2mに及ぶ手紙を書いていて、
 今となっては、それが展示されちゃったりもする
 なかなかに見事なろくでなしぶりです。

 そんな彼と、
 彼を妻子持ちとも知らずに養っていた女と
 その女に惚れながら、啄木に返してもらえるあてもない金を貸し続ける男。
 三人が織りなすこの芝居は、
 さしずめ、現代の『藪の中』といった風情。
 三人には、三人三様の「真実」があり、
 ひとつの事実を、それぞれの「真実」という名の「想い」が
 語ることで、物語は重層化し、ある「世界」を描き出していくのです。

 劇中では、さまざまな手法で個々の「真実」が描き分けられるのですが、
 そのことによって浮かび上がるのは、
 「何を自分の中心に据えて生きるのか」という違いです。

 今年度は教育相談を不本意ながら引き受け、
 現在は、年末に起こった大問題に取り組んでいます。
 関係する生徒たちから(うちの学校では珍しく)
 かなりじっくりと話を聞いているのですが、
 その中でつくづく感じるのは
 彼らは押し付けられた価値観の中で生きるのに苦しみながらも
 その世界しか自分の生きる世界はないと思い込んでしまっていて
 そこから抜け出るという意識さえ持っていない、ということです。
 「啄木ほど自由に」とは(なにしろろくでなしなので(^^;;)言えないまでも
 うちの学校の価値観なんかくそくらえだ、と思える意識を
 育てる、というか、せめて思いつくくらいにはしていかないと
 教育相談の仕事が大変で仕方が無い、とつくづく思うのでした。

 実際、授業が4時半にしか終わらないわが校では
 本気で、このカウンセリングがものすごい負担…
 私も、価値観を捨てて一ヶ月くらい休んじゃおうかと思うほど
 結構消耗してるのでした(^-^;;;

 明日は志の輔さんのPARCO劇場
 あとは東京の最終セールをひやかして
 十分リフレッシュして帰って、
 なんとかやり過ごそうとは思ってますけど…

 いつもながら、大会に全く関係ない話で申し訳ありませんが
 多分、毎週こんな感じで行くと思いますので
 金曜日は期待しないでくださいね(^^;;;