基調学習会@沖縄高生研

 7月最後の土曜日、沖縄高生研で基調の学習会をしました。
 参加者は、仲里、照屋、伊藤の沖縄高生研メンバーに加え
 いつも参加してくださるスクールカウンセラーの神保先生、
 沖生研の喜屋武先生、それから初参加の中学校講師宮城さんという六人でした。
 高校生活指導に載った基調をテキストに、
 私と照屋さんが全国委員で聞いたことを加えながら、
 4時間半の熱い討議が出来ました。
 現高生研、最後の基調にふさわしく、
 今までの高生研の実践のスタイルを振り返る、
 捉え直す意味で必要であると言う事を念頭に、
 発題について分析を深めました。

 書き出しの部分は、高生研においては、
 実践報告と分析を繰り返しているとそれが当然であるように感じてくるが、
 高生研と関わりのない先生達にとっても重要なことであることを再認識しました。

 また、岡山さんの実践報告については、
 上條先生の「平場の参加者が実践報告会をつくる」という発言から
 沖縄高生研での学習会における問題点について話し合いました。
 実践分析において、運営担当者方の鋭い切り口が
 学びを深めてくれるのは確かで、
 沖縄高生研においても、沖生研の喜屋武先生が参加してくださると
 とても充実したものになるのですが、
 私たちひとりひとりが、そういう力をつけることを目標にしようという
 話をしました。

 三章からは、基調の主題にかかわる討論になったので
 実際の基調報告の時に、発言したいと思います。
 
 後、要望として、船橋先生の主張がもっと直接聞きたい、という話がありました。
 報告の際には、是非、船橋先生の熱い思いをお聞きしたいと思います。

 基調学習会をして、全国大会での時間がとても楽しみになりました。
 活発な議論になることを、期待しています。

しゃちほこ堂店主より、追伸

名古屋大会書籍係の松尾です。
先日(7月31日)の追伸です。

今年の書籍は『高校生活指導』のIさんの「消閑亭緩々日記」に紹介された本を
たくさん選書しています。(私は「消閑亭緩々日記」のファンなのです)

Iさんに了承を得て「消閑亭緩々日記」に紹介されている本については、
日記に紹介された文章をチラシにしたものをはさみます。
書籍売り場にてご覧下さい。

それからぜひみなさん書籍売り場に足を運び、本をご購入ください。
ひとり2冊のノルマがあれば完売→なんてことはあり得ませんが・・・・・・。
では大会当日お目にかかりましょう。

本田由紀氏 分科会紹介 その3

<その2からの続きです>

 しかし、その点はたぶん、本田さんにとっては想定内のことだと思います。 そこで、分科会での本田さんのお話に3つ要望させてもらいました。

 第1は、あえて反論・反発も辞せず提起された「普通科高校の変革」のキーワードである「能力」の捉え方について話してほしい。

 本田さんは、ポスト近代化社会における「能力」概念の変容について、とりわけ、欧米のように職務給が社会の常識にならなかった日本社会における企業的な能力評価の問題点をふまえて分析されています。そして、欧米のような社会的タガがないままに暴走する日本の能力に関する言説を批判し、「能力を飼い慣らす」「タガをはめる」ことを目的として、上記の教育の職業的意義が構想されているからです。

 第2は、「タガをはめる」ためには、教育の職業的レリバンスだけでなく、ヨーロッパで整備されているような分野別・水準別の統一的な「能力」評価・証明制度の整備と、企業組織を横断する形での職務別労働市場の形成が一体となっていかなければならないはずです。なのになぜ、今回は教育の職業的レリバンスだけが取り出され提起されたか、という点です。社会変革と教育変革を一体で提起されたところに、本田さんの主張のキモがあると、私は思っています。

 最後に、本田さんの提起は、ポスト近代化社会において、個々人の能力を不断に向上・更新することによって社会経済への人々の包摂を計る社会政策を踏襲するものであり、かえって「能力」という脅迫に人々を巻き込む可能性があることを、本田さん自身も認めています。普通教育の「普通」とは、そのような能力の多寡にかかわらず、等しく保障されるべき教育とは何かを問いかけるものであったと思います。だとしたら、本田さんの言う教育の職業的意義を育むカリキュラムと普通教育のカリキュラムはどのような関係としてあるべきなのか、を聴きたいと思います。

 本田さんからは、以上の3点について、「分科会で補足する」とお返事をいただきました。これらの点は、本田さんの『労働再審① 転換期の労働と<能力>』(大月書店2010年)を読むとよりはっきりします。分科会に参加しようとお考えの皆さんにぜひお勧めします。

 大阪 井沼淳一郎

東北の先生たちと「震災」体験を語り、記憶する会〜2日目交流会〜

東北の先生たちと「震災」体験を語り、記憶する会
 〜東北6県の地酒と名古屋の手羽みそかつとともに〜

 
 大阪高生研です。

 3.11から5ヶ月近く。

 この間、大阪高生研の何名かはボランティアや見学に東北を訪れました。
マスコミの報道である程度知っているつもりでしたが、やはり現地の人の話
を聞き、実際に見ることで、自分は「震災」体験をどう記憶するか、が問わ
れる思いでした。

 秋田の教研では「ぴらいち」を通じて、石巻出身の大学生が、自宅や家族、
友人だけでなく、通った小学校もなくなってしまった喪失感を語ってくれま
した。親しい人の死の意味をどう記憶するかは、残った者の生きる意味に
つながる作業なのだと気づかされました。

 何もなくなった石巻や女川では、ビデオカメラを回しながら、正直、絶望的
な気持ちになったのですが、同行したSさんは「4ヶ月でよくここまでがれき
を片付けられた」と、逆に希望を語りました。同じ風景の中にいながら、それ
を正反対のものとして記憶していくこともあるのですね。

 そのSさんが、福島では、以下のように語ります。

 ぼくにとって、今回一番考えさせられたまち、それが福島でした。 
 人々が「普通に」暮らしている。町でたむろする若者たち。通常営業している
商店。見ためまったく、どこにでもある風景です。
 避難圏からはずれた福島市内だから「普通」なのか、それとも放射能が「見え
ないもの」であるからなのか。「わからない」のは最高に不安です。(下略)

 おそらく、記憶とは、自分にとっての体験の意味を考えること抜きには成立しない
のでしょう。「震災」体験を、十把一絡げにして「かわいそう、大変だった」で
終わらせない記憶のあり方、記録のされ方を考える必要があると思います。

 いまなお復興のめどが立たない中、夏の大会には、大変な思いをされたであろう
東北の先生たちが参加されます。先生たちの「見た・聴いた・感じたこと・思い」を、
ゆっくり聴かせていただき、「震災」体験を、それぞれの記憶にとどめたいと思います。

(若干量ですが、東北各県の地酒と名古屋名物をたしなみながら…
 コーディネートは大阪です)

 日時:8月7日(日) 18:30〜8:30
 場所:ホテルキヨシ名古屋第2(レストラン)
   名古屋市中区平和1-15-22
 TEL 052-321-8188 FAX 052-321-3661
http://web.travel.rakuten.co.jp/portal/my/mapOperation.top?f_hotel_no=926&f_teikei=&f_static=1

 会費:参加費 一般3000円 学生2000円 軽飲食代込み(東北のお酒を飲みながら行います)
 定員:会場の関係で、先着26人まで(厳守) ※8月6日全体会場で受け付けます。

今でない次、ここでないあの場所と、常に夢を追いかけて行動する人               〜京都より「K先生を偲ぶ」〜

 長く高生研の会員でいらして、全国委員をしておられた時期もあったK先生が
先週急逝されたとの報を受けた時は、京都で先生を知る誰もが耳を疑いました。

 昨年3月に退職なさるまでは京都の例会には欠かさず出席してくださっていて、
その柔和な笑顔と穏やかな話しぶりがいつも例会全体にゆったりした温かさを
与えていました。

 長年の念願であった中国四川省の四姑娘山(スークーニャン)という五千メー
トル級の山系の登山に行かれた最中でのご逝去だったそうです。7月17日に
四姑娘山を背景にして撮られた写真には、笑顔で立っておられるK先生がおられ
ました。いつも例会で見せておられた柔和で穏やかな笑顔でした。

 今日の告別式の後に、かつての同僚の先生方が在職中のK先生の姿を語られ
ました。生徒たちが数学を教えてほしくて、先生に質問をするのを列をなして
待っていたというエピソード、不登校の生徒のことで悩んでいた同僚に、社会
全体のありようから現状を考えて生徒の抱えるしんどさに気付くようアドバイス
なさったというエピソード、常にさりげない優しさを周囲の人たちに与える善意
の人であり、好奇心旺盛で夢多き楽天的行動家だった―今でない次、ここでない
あの場所と、常に夢を追いかけて行動する人であった、最後まで自分らしい生き方
を求めていかれた―ということが、語られました。

 62歳という若さで亡くなってしまわれたことが、本当に、本当に残念でなりま
せん。K先生の笑顔を「生徒の生きづらさに寄り添うことが大事」という先生の
ご発言と共に心にとどめていこうと思っています。
                         京都高生研 田中容子

 数日前、K先生の訃報が届いた。昨日、告別式が行われた。
 長年に渡って京都高生研を支えてこられた方で、私の前の事務局長だ。
 1991年、ちょうど20年前、京都滋賀共催での全国大会では宿泊担当として
尽力された。この全国大会は「初の都市型大会」と銘打って、「宿舎自治」をとり
やめた最初の大会であったが、それでも宿泊担当は最もしんどい仕事であった。
400名近い参加者で、全員が宿泊したわけではないが、それでも2つのホテルを
用意しなければならなかった。「K先生が現役中にもう一度京都で大会を」と
密かに願っていたが、私の怠慢でそれができないまま、一昨年、K先生は
定年退職された。これからは悠々自適の生活……のはずだった。
 1991年は大きな転換の年だった。国際的に見れば直前に東側諸国の崩壊、国内
ではバブルの崩壊があった。不登校生が増加を始めたのもこの年からである。そして、
全国大会参加者数も、この年を1つのピークとして減少が始まる。
 高生研を含めた民間教育運動、もっと広げて考えてみれば市民運動の底流には、1つ
の対立軸、オールタナティブな社会のありようを追求する上で、東側諸国の存在は、
モデルとは言わないまでも、精神的支柱にはなっていたのではないか。70年代を
席巻した革新自治体の誕生や共産党の躍進は、その精神的支柱が背景の一つとして
あったことは否定できないと思う。その崩壊に乗じて吹き荒れたのが新自由主義
いう嵐であった。革新運動を支えてきた世代は抵抗を試みるも、引退年齢に近づき、
かつての輝きを取り戻すにはもはや体力は残っていなかった。
 新自由主義の嵐は、とりわけ、障がい者、高齢者、母子家庭など、公的扶助を必要と
する人たちを直撃した。若年層には安定した雇用を夢物語へと変貌させた。いやそれだ
けではない。アメリカを中心として、崩壊しなかった側の陣営をも、今や深刻で慢性的
な経済危機に陥れた。そして、地球温暖化を初めとする環境破壊の進行、そこに福島原
発。多くの人たちが「このままではやばい」と感じるようになった。
 そんな中、高生研は新たな一歩を踏み出そうとしている。それが目指すものは、
きっと「夢よ、もう一度」ではないだろう。新たな精神的支柱…、でもないのかもしれ
ない。しかし、少なくとも「このままではやばい」の思いは共有できるはずだ。そして、
でっかく考えて、ちっちゃく行動するという我々の戦術を駆使して、「やばい」を乗り
越える手応えを感じたい。それが今年の全国大会だ。(後略)  久田晴生

 <京都高生研では秋号ニュースでK先生特集を組む予定です。そこに続きを
 掲載します。>