今でない次、ここでないあの場所と、常に夢を追いかけて行動する人                    〜京都より「K先生を偲ぶ」〜

 長く高生研の会員でいらして、全国委員をしておられた時期もあったK先生が
先週急逝されたとの報を受けた時は、京都で先生を知る誰もが耳を疑いました。

 昨年3月に退職なさるまでは京都の例会には欠かさず出席してくださっていて、
その柔和な笑顔と穏やかな話しぶりがいつも例会全体にゆったりした温かさを
与えていました。

 長年の念願であった中国四川省の四姑娘山(スークーニャン)という五千メー
トル級の山系の登山に行かれた最中でのご逝去だったそうです。7月17日に
四姑娘山を背景にして撮られた写真には、笑顔で立っておられるK先生がおられ
ました。いつも例会で見せておられた柔和で穏やかな笑顔でした。

 今日の告別式の後に、かつての同僚の先生方が在職中のK先生の姿を語られ
ました。生徒たちが数学を教えてほしくて、先生に質問をするのを列をなして
待っていたというエピソード、不登校の生徒のことで悩んでいた同僚に、社会
全体のありようから現状を考えて生徒の抱えるしんどさに気付くようアドバイス
なさったというエピソード、常にさりげない優しさを周囲の人たちに与える善意
の人であり、好奇心旺盛で夢多き楽天的行動家だった―今でない次、ここでない
あの場所と、常に夢を追いかけて行動する人であった、最後まで自分らしい生き方
を求めていかれた―ということが、語られました。

 62歳という若さで亡くなってしまわれたことが、本当に、本当に残念でなりま
せん。K先生の笑顔を「生徒の生きづらさに寄り添うことが大事」という先生の
ご発言と共に心にとどめていこうと思っています。
                         京都高生研 田中容子

 数日前、K先生の訃報が届いた。昨日、告別式が行われた。
 長年に渡って京都高生研を支えてこられた方で、私の前の事務局長だ。
 1991年、ちょうど20年前、京都滋賀共催での全国大会では宿泊担当として
尽力された。この全国大会は「初の都市型大会」と銘打って、「宿舎自治」をとり
やめた最初の大会であったが、それでも宿泊担当は最もしんどい仕事であった。
400名近い参加者で、全員が宿泊したわけではないが、それでも2つのホテルを
用意しなければならなかった。「K先生が現役中にもう一度京都で大会を」と
密かに願っていたが、私の怠慢でそれができないまま、一昨年、K先生は
定年退職された。これからは悠々自適の生活……のはずだった。
 1991年は大きな転換の年だった。国際的に見れば直前に東側諸国の崩壊、国内
ではバブルの崩壊があった。不登校生が増加を始めたのもこの年からである。そして、
全国大会参加者数も、この年を1つのピークとして減少が始まる。
 高生研を含めた民間教育運動、もっと広げて考えてみれば市民運動の底流には、1つ
の対立軸、オールタナティブな社会のありようを追求する上で、東側諸国の存在は、
モデルとは言わないまでも、精神的支柱にはなっていたのではないか。70年代を
席巻した革新自治体の誕生や共産党の躍進は、その精神的支柱が背景の一つとして
あったことは否定できないと思う。その崩壊に乗じて吹き荒れたのが新自由主義
いう嵐であった。革新運動を支えてきた世代は抵抗を試みるも、引退年齢に近づき、
かつての輝きを取り戻すにはもはや体力は残っていなかった。
 新自由主義の嵐は、とりわけ、障がい者、高齢者、母子家庭など、公的扶助を必要と
する人たちを直撃した。若年層には安定した雇用を夢物語へと変貌させた。いやそれだ
けではない。アメリカを中心として、崩壊しなかった側の陣営をも、今や深刻で慢性的
な経済危機に陥れた。そして、地球温暖化を初めとする環境破壊の進行、そこに福島原
発。多くの人たちが「このままではやばい」と感じるようになった。
 そんな中、高生研は新たな一歩を踏み出そうとしている。それが目指すものは、
きっと「夢よ、もう一度」ではないだろう。新たな精神的支柱…、でもないのかもしれ
ない。しかし、少なくとも「このままではやばい」の思いは共有できるはずだ。そして、
でっかく考えて、ちっちゃく行動するという我々の戦術を駆使して、「やばい」を乗り
越える手応えを感じたい。それが今年の全国大会だ。(後略)  久田晴生

 <京都高生研では秋号ニュースでK先生特集を組む予定です。そこに続きを
 掲載します。>

基調学習会@沖縄高生研

 7月最後の土曜日、沖縄高生研で基調の学習会をしました。
 参加者は、仲里、照屋、伊藤の沖縄高生研メンバーに加え
 いつも参加してくださるスクールカウンセラーの神保先生、
 沖生研の喜屋武先生、それから初参加の中学校講師宮城さんという六人でした。
 高校生活指導に載った基調をテキストに、
 私と照屋さんが全国委員で聞いたことを加えながら、
 4時間半の熱い討議が出来ました。
 現高生研、最後の基調にふさわしく、
 今までの高生研の実践のスタイルを振り返る、
 捉え直す意味で必要であると言う事を念頭に、
 発題について分析を深めました。

 書き出しの部分は、高生研においては、
 実践報告と分析を繰り返しているとそれが当然であるように感じてくるが、
 高生研と関わりのない先生達にとっても重要なことであることを再認識しました。

 また、岡山さんの実践報告については、
 上條先生の「平場の参加者が実践報告会をつくる」という発言から
 沖縄高生研での学習会における問題点について話し合いました。
 実践分析において、運営担当者方の鋭い切り口が
 学びを深めてくれるのは確かで、
 沖縄高生研においても、沖生研の喜屋武先生が参加してくださると
 とても充実したものになるのですが、
 私たちひとりひとりが、そういう力をつけることを目標にしようという
 話をしました。

 三章からは、基調の主題にかかわる討論になったので
 実際の基調報告の時に、発言したいと思います。
 
 後、要望として、船橋先生の主張がもっと直接聞きたい、という話がありました。
 報告の際には、是非、船橋先生の熱い思いをお聞きしたいと思います。

 基調学習会をして、全国大会での時間がとても楽しみになりました。
 活発な議論になることを、期待しています。

しゃちほこ堂店主より、追伸

名古屋大会書籍係の松尾です。
先日(7月31日)の追伸です。

今年の書籍は『高校生活指導』のIさんの「消閑亭緩々日記」に紹介された本を
たくさん選書しています。(私は「消閑亭緩々日記」のファンなのです)

Iさんに了承を得て「消閑亭緩々日記」に紹介されている本については、
日記に紹介された文章をチラシにしたものをはさみます。
書籍売り場にてご覧下さい。

それからぜひみなさん書籍売り場に足を運び、本をご購入ください。
ひとり2冊のノルマがあれば完売→なんてことはあり得ませんが・・・・・・。
では大会当日お目にかかりましょう。

東北の先生たちと「震災」体験を語り、記憶する会〜2日目交流会〜

東北の先生たちと「震災」体験を語り、記憶する会
 〜東北6県の地酒と名古屋の手羽みそかつとともに〜

 
 大阪高生研です。

 3.11から5ヶ月近く。

 この間、大阪高生研の何名かはボランティアや見学に東北を訪れました。
マスコミの報道である程度知っているつもりでしたが、やはり現地の人の話
を聞き、実際に見ることで、自分は「震災」体験をどう記憶するか、が問わ
れる思いでした。

 秋田の教研では「ぴらいち」を通じて、石巻出身の大学生が、自宅や家族、
友人だけでなく、通った小学校もなくなってしまった喪失感を語ってくれま
した。親しい人の死の意味をどう記憶するかは、残った者の生きる意味に
つながる作業なのだと気づかされました。

 何もなくなった石巻や女川では、ビデオカメラを回しながら、正直、絶望的
な気持ちになったのですが、同行したSさんは「4ヶ月でよくここまでがれき
を片付けられた」と、逆に希望を語りました。同じ風景の中にいながら、それ
を正反対のものとして記憶していくこともあるのですね。

 そのSさんが、福島では、以下のように語ります。

 ぼくにとって、今回一番考えさせられたまち、それが福島でした。 
 人々が「普通に」暮らしている。町でたむろする若者たち。通常営業している
商店。見ためまったく、どこにでもある風景です。
 避難圏からはずれた福島市内だから「普通」なのか、それとも放射能が「見え
ないもの」であるからなのか。「わからない」のは最高に不安です。(下略)

 おそらく、記憶とは、自分にとっての体験の意味を考えること抜きには成立しない
のでしょう。「震災」体験を、十把一絡げにして「かわいそう、大変だった」で
終わらせない記憶のあり方、記録のされ方を考える必要があると思います。

 いまなお復興のめどが立たない中、夏の大会には、大変な思いをされたであろう
東北の先生たちが参加されます。先生たちの「見た・聴いた・感じたこと・思い」を、
ゆっくり聴かせていただき、「震災」体験を、それぞれの記憶にとどめたいと思います。

(若干量ですが、東北各県の地酒と名古屋名物をたしなみながら…
 コーディネートは大阪です)

 日時:8月7日(日) 18:30〜8:30
 場所:ホテルキヨシ名古屋第2(レストラン)
   名古屋市中区平和1-15-22
 TEL 052-321-8188 FAX 052-321-3661
http://web.travel.rakuten.co.jp/portal/my/mapOperation.top?f_hotel_no=926&f_teikei=&f_static=1

 会費:参加費 一般3000円 学生2000円 軽飲食代込み(東北のお酒を飲みながら行います)
 定員:会場の関係で、先着26人まで(厳守) ※8月6日全体会場で受け付けます。

色々な思いを抱いて、名古屋大会へ・・・。

弘前の木村です。
昨日8月1日から、津軽の夜空を焦がす「弘前ねぷたまつり」が開幕しました。
東日本大震災に見舞われた今年は復興への願いと、犠牲者への祈りを込めた特別なねぷたまつりとして位置づけられ、開幕前夜の7月31日、特別運行「鎮魂ねぷた」が行われました。道路を川に、ねぷたを灯籠に見立てた灯籠流しの情景を表現した運行で、私も見学してきました。86団体の代表20団体の扇ねぷたが、通常はねぷたをロープで引く大勢の引き手を排し、ねぷた本体とお囃子方だけとし、間隔を詰めて次々に並び運行したのでした。メインストリートに全てのねぷたが並ぶと、運行の列は歩みを止め、一斉に「休み」のお囃子が演奏されました。(お囃子には「運行・休み・帰り」の3つがあります。)ねぷたの柔らかな明かりと、ゆったりと哀切を帯びたお囃子の音色が鎮魂の祈りをささげているようでした。そして再び動き始めたどのねぷたにも、「がんばろう東北」などの復興を願う文字が描かれ、沿道の観客から大きな拍手が送られていました。

さて、いよいよ名古屋大会。色々な思いでこの大会を迎えます。ひとつは新しい組織への移行について、今次総会において一定の方向性が決定されるだろうと思うことです。この論議のスタートとなったのが2008年の青森大会での総会でしたので、3年かけてようやくやどりついたという思いです。
もうひとつの思いは東日本大震災のことです。退職3年目のシニアとしては大震災の教材化などに取り組む皆さんの報告をうらやましく思うところもあるのですが、あらためて今の自分に出来ることとは何かを考えるきっかけを名古屋大会で得たいと思っています。

2日目夜の大阪高生研企画「東北の仲間の話を聞く」にはもちろん参加です。会員通信の表紙を飾った被災写真の八戸水産高校・田村先生、レポーターで参加の三沢高校・酒田先生も。私はシニアの立場からいくつかお話しやご紹介を出来ればと思っています。ひとつは先日の全国会員通信の大震災特集に掲載された被災地の先生方の報告についてです。今大会に参加できない先生方の思いをお伝えしたいと思います。

また、私は昨年から近くの児童館(学童保育)に非常勤でお手伝いに行っているのですが、そこで出会った大震災の現実についても少しお話が出来ればと。

 被災地福島からお母さんと二人で弘前市に避難転校してきた女の子がいます。お父さんはご商売があり、まだ現地に残っています。市営住宅に入居し、主な家電製品は行政から支給されるとのことであったのに未だ実現していません。この熱い中、冷蔵庫も扇風機もありません。炊飯器は児童館のものをお貸ししました。それまでは煮炊きもままならず、コンビニおにぎりやお弁当だったとのこと。最近は少し緊張も薄らいできたのでしょうか、遊びながら笑顔で福島弁も出てくるようになりました。

次に中学校同期で、石巻市に嫁がれ、ご主人とともに小学校の先生をされたMさんのことです。実は今回第5回目の同期会の開催案内のために、事務局・実行委員会や県内外の方たち23名ほどから原稿をもらい、「三八会通信」(昭和38年度卒なので)を作成発送したのですが、そのなかに、被災地真っただ中のMさんからも原稿をいただきました。ご自宅が高台にあったためかろうじて被災は免れたものの、ご主人は首までつかった津波の泥水の中から危うく脱出。つかの間、翌日停電の中、自宅の階段から転げ落ちて腰骨の骨折。原稿のお願いを躊躇する思いもありましたが、思い切ってお電話したところ、ご主人と二人で渾身の原稿を書いてくだいました。悲しみ、苦しみ、そして希望、思いのこもった3600字でした。長いので削りますとおっしゃっていただきましたが、これは一字一句たりとも削るわけにはいかないと思い、全文掲載しました。Mさんは、書きながら胸が苦しくなり、涙が流れてきたとのことでしたが、それでも私自身救われたことがありました。それは悲しみ、苦しみ、絶望のどん底にあるときに、自分の「心の叫びというか声を発すること」がどれだけ救いになったか、原稿を書く機会をいただき感謝しますというお返事をいただいたことでした。Mさんは事務局スタッフの同級生ということで今回のお願いとなったのですが、団塊の世代700余名の同期生のこととて、お互いにほぼ面識はありません。しかし「ああ、一人でなかったんだ、自分を心配してくれる人がいたんだと思うと、ありがたく嬉しく…。多くの方々の励ましなどで心身ともに傷は癒されてきているんですよ。」とお便りをいただきました。

被災された方々のお話を聞かせてもらうこと、書いていただくこと。それは心に固く閉じ込められた思いを少しずつ解きほぐし、逆境の中にも希望の灯りを見出していくことに
ささやかだけれどもつながっていくのではと、今回のMさんとの交流の中で感じました。
急きょ、同期会出席の有無を知らせてもらう返信はがきに、Mさんへの「応援メッセージ」欄を追加し、同期生の皆さんに発送しました。今できることの第一歩だと思っています。

               青森高生研 木村 一男

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大会受付で、京都か名古屋の逸品を持って、お待ちしております。
  
岸田康子 yasuko@fkc.ritsumei.ac.jp